2017年8月9日水曜日

立ち戻る人々

好事魔多し。

知れ渡った諺でありますが、これを意識して日常を過ごす事は煩悩を抑制する事と同じくして、凡人にとっては容易ではない事を実感する。

容易であれば諺にすらならないのであるから、それは古の時代から既に難しかったのであろう


近頃と云わず、結構昔から好事には大しては恵まれない生活をしてきたおかげか、好事無くとも結構幸せだなぁと普段からいつも思っている。

例えば、毎月収入があって、エアコンが効いている事が実感として幸せだ。

例えば、毎日仕事があって、誰かが筆者を必要としていてくれている、マジ幸せである。

例えば、交通事故で今日は死ななかったなぁと会社に辿り着いて思う。(これは事実死んでいる人を東京縦断通勤中に環七でたまに見るからだが・・。)

例えば、耳が聞こえて音楽が聴けて感傷的に成れたりする。

若者風に言えば、しわい感じである。 いや違うか、マジリア充いであろうか?

そもそも”マジ”というのは江戸時代から既にあったらしいが、意味も変わっていないのだそうだ。

話がそれたが、ブログで幸せを説くような気はどっかの活動家でもありゃしませんので、1ミリたりともありゃしませんで。

日々を過ごして、時があっという間に経って、昔ほど良かれ悪しかれ、感傷的にならなくなったなぁと感じたのが引き金になりまして、少々日々を哲学的に捉えてみた次第であります。

筆者は大層は望まぬ故、お金も大して持ってないですし、毎日が平平凡凡で、給料だってエアコンが止まらない程度で十分。 遊びに行くのは無料の公園で十分、本だって古本で十分。 あとは工夫で毎日楽しい。

それに、それ以上先が恐いのも実感としてある。好事に魔が潜む気がしてならない。

魔に捉われると、大抵人の不幸を承知で大義名分を背負って攻撃的になったりする気がする。

資本主義は究極的には大抵シェアが難しい物で、バランスが崩れた頂点的な物があって、初めて競争に勝利した形であるから、いかなる哲学も綺麗事も、魔と化した資本主義の前には風前の灯である。

いきなりだが、資本主義は素晴らしい、全面的に肯定したい。 エアコンの性能も資本主義の中で最高潮に性能が向上した。

だから筆者は涼しい。

風前の灯の様な、小さな小さな筆者の生活は、翻弄された魔になれない土の中で時を待つのか、死を待つのか、待っているのか待ちたくないのか、分からない蝉の幼虫の様だ。

が、それも別に悲観的とも楽観的とも取れる。 好事の世界へ突入するには余りにも手持ちの札は不足しているのだ。

道端に仰向けで死にゆく蝉を見てそう思ったり致しました。

著名な音楽家が言っていた幸せの定義を久しぶりに思い出しました。

”素朴で清潔な自分に立ち返る事が出来る人や物である。”

引用も大概にせねばなりませんが、非常に共感できる言葉でした。

しかし、この言葉通りであると魔からのイマイチ防御システムが脆弱な気も致します。

魔とか書いているとヤバい感じがアリアリと出ますが、ヒアリは恐いなぁ。

こういう事を考えながら哲学的にバイクを直していると、バイクの構成や設計、工学的な理論等が、其の持ち前であるシステムと、人間社会の営むあらゆるシステムの意外な共通点に行きつく事が多々あります。

良いバイクも、良い人も、良い社会も、良い企業も、善良なる政治は無いにしても極力健全かつ合理的たる政治、その有限なるファクターによって構成され構築されて、相互作用により機能し、個人は生かされている事を忘れたくないものでごわす。

兎に角、ヒアリには気を付けろ!という事が大事であります。

さて、久しぶりに陸友ファクトリーの人々であります。







随分御礼が遅くなってしまいました、今年も見苦しい走行を見せてしまいましたが、応援を頂いて、一人で走るより、ずっと心強かったです。 駆けつけて頂き、本当にありがとうございました。




水冷ばかり触っていられませんで、63’FLのトップエンドO/H。 


バイクばかり触っていませんで、ボーリングマシンのメンテナンスとセットアップ。







一応、自身のFLHも少しづつ進めて、スラストブッシング交換、後はボーリングしてバランス取り、ショッティング、と続きます。 年内には何とか・・。












パンヘッドだからといって非力な訳ではなく、バツンバツン!と、1200のショベルとパンチのある走りは大差ありませんで、街乗りなら進角なしでも環七を流せる。

有機的な温かみのある素晴らしいエンジンだと思う。









いつもそうだが、大抵独学でやるのでセットアップに膨大な時間がかかったが、理論上かなりの精度で仕上がった。

検証に胸高鳴る。


こっちはマイボーリングマシン。こちらもセットしないと・・・さすがにちょっとしんどいな。


廃シリンダーでテスト切削が終わったら、いよいよ1台目は自分のFLHのローコンプピストンのボーリング。 仕事の幅はとてつもない範囲になってきたが、薄くならない様に維持する努力は孤独との戦いである。

人格は世の荒波にて成る、才能は孤独のうちに成る。

良い言葉だなぁ。

筆者の知る達人たちはやはり、大なり小なり孤独な時間を成長と自身の投資に充てている。

楽しい時間の過ごし方は幾らでもありますから、それを捨てるのは孤独との戦いであります。


なぁ相棒。